日々の読書、愛犬たち、翻訳、手芸など


by ars_maki
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キム・ボクドン

2013.9.20 フランスにて元慰安婦のキム・ボクトンが
「朝鮮戦争当時日本軍に無­惨に踏みにじられて悔しい思いをさせられた」と証言

ところが、この記事が書かれた、朝鮮日報韓国版・・・日本で突っ­込みが入ると、
あわてて朝鮮戦争当時を日帝強占期時代に改ざんする。
日帝慰安婦と朝鮮戦争時の洋公主は、どちらも売春婦。後者は強制連行の証拠有り。
洋公主は朴正煕率先の下で外貨獲得のためにつくられた公設売春施設で
働く売春婦。洋公主の悲惨さを知ってください。


韓国の元慰安婦、キム・ボクドンさん(88)が14日、韓国国会で行われた外交統一委員会の国政監査に出席し、「朴正煕大統領の娘が大統領になったが、(慰安婦問題について)これといった発言が一言もない」と朴槿恵大統領を批判した。複数の韓国メディアが報じた。

  国政監査に証人として出席したキムさんは、朴大統領について「朴正煕大統領の時に確実に解決していたら、年を取ってから(日本に)謝罪しろとわめき立てることもなかっただろう」と述べ、朴大統領に慰安婦問題について積極的な対応を取るよう求めた。

  キムさんは最近、スイス・ジュネーブで開かれた国連人権理事会に出席したことから「国連に行って各国代表者たちに証人として日本について話した。すると『これまでどうして韓国政府は解決しなかったのか』と人々に驚かれた」と述べ、「(韓国政府は)これまで何をしていたのか。他国で韓国を批判することはできなかった」と自国政府の対応に強い不満を示した。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=1016...
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# by ars_maki | 2014-01-30 10:51

シンドラーのリスト

David M Crow教授はホロコースト研究者。映画になったオスカー・シンドラーを研究し、
伝記を上梓しているが、数あるシンドラーの伝記のなかでもっとも包括的である。
以下、研究の成果を見てみましょう。


*リストそもそもシンドラーのリストはなかった。
映画でリストが出てくるのは、ポーランドが危なくなり、チェコに工場を移転させるところ。とはいえ9つのリストがある。4つはMarcel Goldbergが作成。Goldbergは警官でユダヤ人の移送に関わっていたSSの補佐をしていた(賄賂受け取りなどで訴えられた)。シンドラーはクロウ教授に名前を挙げたが、いずれも見当たらなかった。残りの5つのリストは誰が作成したのか不明。
シンドラー自らがイスラエルにあるユダヤ人に人道的行為を行った人々を褒賞するYad Vashemに自らを売り込んだものと思われる、とクロウ教授は考える。

他に、クロウ教授が突き止めたのは
* シンドラーはドイツに敵対する情報を収集するスパイだった
* ドイツがポーランド侵攻計画の中心にいた
* ポーランドでユダヤ人の土地を奪い、抵抗するユダヤ人を殴らせた
* シンドラーは1939年にクラカウに来た絨毯バッグ製造者だった。
* ドイツのチェコスロヴァキア侵略前に懐柔策を出し投獄され、チェコ
スロヴァキアでは危険なスパイで、戦争犯罪人として訴えようとした。
* 婚姻外の子供が2人いる。
* 映画では愛人と一緒に丘からゲットーのユダヤ人が追い払われてゆく場面がある。シンドラーの良心が目覚めるといいうところだ。しかし、あの丘は実際にはない。
* 映画ではユダヤ人のための善き非ユダヤ人として1958年にYad Vashem に指名されたとされているが、実際に指名されたのは1993年になってからだった。シンドラーは1974年に死亡。

"Steve is a very wonderful, tender man," Mr. Crowe said of Mr. Spielberg, "but 'Schindler's List' was theater and not in an historically accurate way. The film simplifies the story almost to the point of ridiculousness." Mr. Crowe also said that he admired Mr. Keneally's novel.
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# by ars_maki | 2014-01-29 22:17

The Tungchow Incident

On July 27th in 1937 took place Tungchow Incident,
in which the Chinese army assaulted on the Japanese
civilians and troops, killing 223 out of 385 Japanese residents.
They killed babies and children, raped girls and women.
They inserted brooms in their genitals.
Those shocking photos are online, but here I’d like
to have Mr Ishijima’s last words、which were reported
in Die Berliner Illustrierte Zeitung, issued October 21st
in 1937.
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Ein erschuetterendes Dokument

“Es lebe der Kaiser ---- ich sterbe einen shoenen Tod”
Das waren die letzen Worte der japanischern Konsular-
polizisten Ischijima. Er vertraute die seinen Notizbuch
an, ehe er starb. Mit 300 Landsleuten wurde er ein
Opfer der Scherdensnacht von Tungigschau am 28. Juli,
als die Soldatesta des “Friedenserhaltungs-Korps---auf die
Nachricht von einem angeblichen grossen chinesichen
Siege hin --- unter den Japanern Ortes im Osten von
Beiping ein furchtbares Gemetzel anrichtete.
Das Notizbuch das den letzen herzlicen Gruss des
Sterbenden enthielt, war blutbefleckt und einen Geshoss
durchloechert, als man es fand.

A shocking document

“Long live the Emperor ---I die a beautiful death.”
These are the last words of Mr Ishijima, policeman at
the Japanese Consulate in Tungchow. He left his last
words in his notebooklet before he died.
On July 29th (in 1937) he became one of the
300 Japanese victims of the massacre; the Chinese
East Hopei Army slaughtered Japanese civilians and
troops, allegedly claiming the overwhelming victory
of the Chinese.
The notebooklet, which bore the last farewell of
the dying man, was bloodstained and had a bullet hole,
when it was found.

1937年7月27日、通州事件が起きました。
日本人居留民の385名のうち223名が虐殺され、
女性はほとんど強姦されて殺害されました。
通州で薬品会社がアヘンを製造ており、
朝鮮人も密売に加わっていました。
朝鮮人慰安婦も居たので、強姦されています。
東京裁判では取り上げてもらえませんでした。

これは、ドイツの雑誌「Die Berliner Illustrierte Zeitung」
1937年10月21日号に載った通州日本領事館付の警察官
だった石島警察官の手帳です。
石島さんは、死ぬ直前に「天皇陛下万歳」と書きました。
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# by ars_maki | 2014-01-24 12:06

日本の誇り

Rie Solisramirez さんより

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著者の井上和彦氏は、「これまで私が自分の足で歩き回って見聞きしてきたアジアには、日本のマスコミが声高に叫ぶ”反日”の声も、また学校で教わるような侵略の歴史も、いまもってお目にかかったことがない」という。当時多くのアジアの人々は日本軍を大歓迎し、とりわけ欧米列強の植民地支配に苦しめられてきた東南アジアの人々は、宗主国の軍隊を次々と打ち倒していく日本軍の姿に拍手喝采したというのが事実なのだ。東南アジア諸国では、日本の近代戦争によって独立を勝ち取った喜びや日本軍人に対する敬意と感謝の声を耳にすることが多い。井上氏は、先の戦争を賞賛する声や日本軍人への敬意を完全に黙殺してきた日本のマスメディアに対して怒り、「いまこそ、封印されてきた近現代史の真実を解き明かし、日本人としての自信と誇りを取り戻さなければならない」と主張する。

●ラダ・ビノード・パール極東国際軍事裁判判事
「同じ有色人種である日本が、北方の強大なる白人帝国主義ロシヤと戦ってついに勝利を得たという報道は、われわれの心をゆさぶった。(中略)私はインドの独立について思いをいたすようになった」

●S・S・ヤダヴ全インドINA事務局長
「インドの独立には国民軍の国への忠誠心が大きな影響を与えました。しかし我々国民軍を助けてくれたのは日本軍でした。インパールの戦争で6万の日本兵士が我々のために犠牲となってくれたのです。我々インド人は子々孫々までこの日本軍の献身的行為を決して忘れてはいけないし、感謝しなければならないのです」

●グルモハン・シン氏
「日本の兵隊さんは命を張って私たちを戦場から逃がし、戦ってくれました。いまこうして私たちが生きていられるのも、みんな日本の兵隊さんおかげだと思うと感謝の気持ちでいっぱいになります。一生この気持ちは忘れることはできません」

●モヘンドロ・シンハ村長
「日本の兵隊さんは飢えの中でも実に勇敢に戦いました。そしてこの村のあちこちで壮烈な戦死を遂げていきました。この勇ましい行動のすべては、みんなインド独立のための戦いだったのです」

●P・N・レキインド最高裁弁護士
「太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない」

(第1章【インド】より)
内容(「BOOK」データベースより)
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# by ars_maki | 2014-01-24 03:24

靖国神社とヴァチカン

ローマ法王庁・ヴァチカンには、昭和の殉難者(戦犯とされた)1068柱の霊が祀られている。連合国の手で「戦犯」として裁かれたABC級すべての日本人「法務死」者の霊が、世界のキリスト教カトリックの総本山ヴァチカンに、他ならぬローマ法王によって祀られたのである。その多くはキリスト教信者であった連合国側にとって、これほどの皮肉はない。皮肉というよりは、勝者の驕りに対する「神の戒め」であるとも言えよう。

時のローマ法王・パウロ6世に、(戦犯とされた)日本人殉難者のためにミサを、と訴えたのは仏教徒の仲田順和師であった。昭和50(1975)年にヴァチカンを訪れた折に、かねてより心を痛めていた「戦犯とされた人々」の鎮魂と慰霊のために、宗教の違いを超えて願い出たのである。

先代座主でもあった順海大僧正は、学徒兵や殉難者の法要を欠かさず、「七戦犯の鐘」など慰霊の鐘も護持している先代座主の遺志をついだ品川寺の仲田順和師の願いを、パウロ6世は快く承諾した。

しかし、喜んで帰国した順和師にその後届けられたのは法王の訃報であった。
その後を襲ったパウロ1世も急逝し、異教徒の願いは空しく閉ざされたと思われた。

その順和師のもとに、ヨハネ・パウロ2世から親書が届けられたのは5年後の昭和55年4月内容は「5年前の約束を果たしたい」との思いもかけぬものであった。ローマ法王庁は、異教徒の願いを忘れてはいなかったのである。

パウロ6世の真心に応えようと、帰国直後から作製を依頼していた五重塔に
殉難者1068柱の位牌を納め、ヴァチカンに奉納されたのは同年5月のことである。

5月21日には仲田・星野両氏も参列し、法王パウロ2世のもと昭和殉難者のための荘厳なミサがヴァチカンで行われた。
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# by ars_maki | 2014-01-22 01:17