日々の読書、愛犬たち、翻訳、手芸など


by ars_maki
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第9章

およそ半年前に第8章をまとめ、第9章に繋げました。

ここでは、第9章と第10章をまとめてみました。

第9章 困窮することばかり および 第10章 砕け散る波のごとく


ラッセルとオットーラインの関係は、順調に行っているときもあったが、そうでない時もあった。順調に行っていたのは、ラッセルとウィトゲンシュタインの関係がスムーズに行っていたときだった。ラッセルは38~39歳なのに既に歳をとってしまったと感じていた。『プリンキピア』で抜け殻のようになってしまったこともあろうが、論理学とは何かと取り組み、倦まずに苦闘することの厳しさのほうがより大きかったのだろう。また、ウィトゲンシュタインの出現と、相対性理論が出てきて科学理論の進歩に眼をみはるものがあり、ラッセルとしては自分の後に継いで論理学の基礎付けをウィトゲンシュタインにやってもらい、自分は科学理論との兼ね合いのほうを担当しようとしたのだった。ラッセルの内面の苦悩があり、緊張の連続だった。張り詰めた関係を和らげようとラッセルも努めてはいたものの、抑えきれずに爆発ないし破裂してしまったのだった。破綻はウィトゲンシュタインとの間にも、またオットーラインとの間にも起きたのだった。

ここで、第9章を詳しくみると、以下のようになります。

第9章 困窮することばかり

1912年3月19日は、ラッセルが1年前にオットーラインのところに泊まり、一晩中語り合った、二人にとっては記念日だった。ラッセルはオットーラインと一緒にこの日を過ごしたかったが、オットーラインはまだスイスのロザンヌにいた。
 仕方なく、ラッセルはライオン・フィルモアやホワイトヘッドといった友人たちのところに泊まった。オットーラインが週末までに戻らないことが確実になると、辛抱できなくなり、一人でドーセットのほうに向かい、散歩をしたりして、オットーラインと一番楽しかったラルワースLulworthを再び訪れたりした。
 家の雑事をこなしてくれる女性に最新の住所を教えて、オットーラインとすぐに連絡が取れるようにすると、シェイクスピア、ブレイク、キーツなどの文庫本を携え、汽車でウルWoolを立った。ラルワースからWeymouthまで悪天候にも拘らず歩いた。「一日中、ハリケーンと闘ったが、自然の力と戦うことを楽しみ、気分がすっきりした」とオットーラインに書いている。
 「近頃は一人でいるのが好きだ。以前は一人でいると亡霊がやってきてブツブツ言っていたものだが、今ではきみのことや仕事のことを考えると、亡霊など消えてしまう」と書いた。「きみのことを考えると」と書いた手紙を送ったのは性急すぎたかもしれない。オットーラインがローザンヌからすぐに帰らずにパリに立ち寄ること、リットン・ストレーチーとヘンリー・ラムと落ち合うと書いてきたからだ。ラッセルはパリに来てオットーラインと会うことさえ考えもしないと言ってきた。隣の部屋に召使の女性がいるので、親密さやロマンチックな再会は期待できないのだった。
 この手紙を受け取ったラッセルは、遅まきながらも、オットーラインは自分に会いたいどころか、逆にラッセルから離れて自由を謳歌していることに気がついたのだった。オットーラインの手紙に、死んでしまいたい気になったラッセル。オットーラインを引き潮のようだと感じたラッセル。とらえようとするのに容赦なく引いていき、繰り返し、繰り返し退いてしまい、苦しめられるのだった。
 心を落ちつかせようと、Weymouthウェイマウスのすぐ下にあるポートランド・ビルという半島の先端にある、岩と荒海と見慣れない哀愁を誘う海鳥しかいない、人里離れたこじんまりしたところを見つけると、海を眺めながら、人間の苦痛や苦悩と無縁な観想的な気分、平常心を得ようとしたのだった。心の葛藤が果てしないので、葛藤がそもそもないように振舞うようにしたくなる、とラッセルは言う。感情に流されずにいる状態を求めたのだった。ラッセルは心の中で葛藤していても、外には出さなかった。
 ラッセルはオットーラインに自らの葛藤を語っている。4月30日の手紙には、「時として、美は全て、最も崇高なものでさえ、悪魔が人間を狂わせるため策略だと思う」と書いている。ラッセルは情熱passionを神的なものであり、知的な享楽以外の美と享楽、特に性的な享楽は避けられるべきものだと考えた(260)。ラッセルに言わせると、幻想の世界と事実の世界があり、神秘的なもの、心を酔わせる美は幻想の世界に属しており、事実の世界に美と幸福を見出すことが問題なのだ。こうした見方の背景にはオットーラインの影響が影を色濃く落としていた。付き合いはじめてから1年だったが、オットーラインはラッセルに自分が愛しているのはラッセルの精神であり、肉体ではないと言い渡した。すなわち、ラッセルには幸福になって欲しいが、自分がラッセルの恋人でいる必要はなく、他に愛人をラッセルは作り、自由にすればよいと言うのだ。オットーラインが挙げた具体的な理由は肉体関係を維持するにたる情熱がないということ、有体に言うと、肉体関係に対して拒否反応を感じるということだった。ラッセルにはオットーラインの言うことが分からないわけではなかった。ラッセル自身にもそうした感覚はあった。しかし、ラッセルは性的な衝動やセックスよりも更に大きな衝動と破壊力を感じていた。殺意だった。『郊外の悪魔』に見られるように、殺人行為こそが心のもやもやを解消するものとしてあったであろうことは想像に難くない。
 オットーラインとの満ち足りた幸福、ないしは単なる性的な安逸は難しかった。そこで、情熱を知的な方向へ向けることにした。哲学の著作にだった。「バッハが神の栄光を称えるために作曲した」ように、ラッセルは『プリンキピア』を著わしたというウィトゲンシュタインの高い評価を受けたこともあって、今や『プリンキピア』を情熱を冷淡に突き放すものではなく、かなり純粋で特殊ではあるが、厳格な情熱を美しく表現したものと見なすようになった。
 ラッセルが抱いていた哲学のイメージとは、気乗りのしない愛人の心臓に情熱を片手にこめ冷たい鉄剣を持ち、近付くというものだった。このイメージは奇しくもドストエフスキーの『白痴』で、ロゴージンが最愛のナスターシャをナイフで一息に刺すと、心臓に一気に食い込んだということ、失意のロゴージンが最愛の人の心により平易な意味で近付こうとしたことと一致している。
 こうして、哲学的著作をものにすることにより昇華を図ったラッセルが実際に著わそうとしたのは、「物質について」だった。オットーライン宛ての手紙にその概要を記している。

(1) これまで物質に関してこれまで哲学者によって言われたことは全て
  間違っている
(2) 物質を肯定的に捉える論拠も間違っている
(3) 物質の存在を想定することは理に適ってはいても、その本質に関して
   知る手立てはない。

 このテキパキした余分なものが全くない書き方はウィトゲンシュタインの著作を彷彿とさせる。ウィトゲンシュタインは不用なものをどんどん削ってゆき最後に残るものはといえば、ごくごくありきたりのものなのだ。ラッセルのこの出だしに拍手を送ったウィトゲンシュタインだったが、筆を進めるにつれ、削ぎ澄まして行くウィトゲンシュタインの方向には進まず、どんどん建てまして行ってしまった。すなわち、物質的対象は、まとまって一つの「もの」thingとして見做せる現実のそして可能なセンスデータの集合という結果になった。論文をウィトゲンシュタインに見せたところ、気に入ってもらえず、ラッセルは落胆してしまう。
 ウィトゲンシュタインの厳粛な審判が下る前に、この論文にも専門的な著作に復帰することにも自信がなくなったラッセルは、オットーラインと別れることを話題にするのも意味がないと痛感するのだった。殺意よりはマシだとはいえ、性的本能が勝っていてやる気も起こさせないのだった。生死、愛と運命、天と地獄が問題なとき、哲学に励むのは困難だった。哲学に自信をなくし、貢献できる気がしなくなってしまったラッセルは、ウィトゲンシュタインに自分の後を継いでもらおうと考えた。自分がやったところから始めれば良いわけだし、ウィトゲンシュタインは若くて期待できる逸材だと思ったからだ。オットーラインに熱をあげ、ウィトゲンシュタインも含め他の若者たちをほったらかしていたことに気づいたのだった。
 ウィトゲンシュタインと親しく話すようになる。全世界を手に入れても自らの魂を失っては意味がないということが話題になる。自ら真実と思うことのために願いが叶えらるかどうかによると言うラッセル。苦悩と忍耐力によると言うウィトゲンシュタイン。ラッセルの場合、個人的なことを非個人的なことで置き換えることで魂を守ろうとするのだが、ウィトゲンシュタインは更に徹底的にストイックで、ラッセルのように「無限」に慰めを得ようともしないのだった。その数日後、ウィトゲンシュタインは次のようなことを言い出した。ディケンズの『ディヴィド・カパーフィールド』で、主人公のディヴィッドがエミリーと駆け落ちしたスティーアフォースと喧嘩するべきではなかった、というのだ。ラッセルがディヴィドだったら、同じようにしただろうと言うと、ウィトゲンシュタインはラッセルの言葉を受け入れられず、苦しそうだった。ラッセルに傾倒するウィトゲンシュタインはラッセルと感情的に異なると苦しむのだった。ラッセルもウィトゲンシュタインに対して情熱的な感覚を感じていたが、オットーラインに夢中になっていたので、オットーラインへの感情のほうがラッセルにとっては大事だった。
 ラッセルはウィトゲンシュタインが完璧に善良なのでスティーアフォースはエミリーを捨てたり友人を裏切るべきではないと考えたと思っていた。このありきたりで表面的な見方は、しかし、ラッセルが自らを完全には善いとは感じられず、道徳と理性によって抑えないと「冷酷にも非道なこと」をやらかしてしまうと常日頃から思っていたからだった。
 ウィトゲンシュタインと会った後、ラッセルはオットーラインに会いにスイスのローザンヌに向かった。ラッセルは静養中のオットーラインに会いに行くのを楽しみにしていた。しかし、オットーラインの反応と逢瀬は期待に反するものだったので、ラッセルは自殺したくなった。オットーラインがもはや自分を愛してはいないのだと確信したからだ。自殺せずとも、性犯罪を犯すのを免れそうもないと感じていた。
 こうした絶望的な心境だったが、ローザンヌに行った。1ヶ月の滞在予定だった。オットーラインとラッセルは別々のホテルに泊まった。オットーラインは静養に大部分の時間を過ごした。ラッセルが泊まったのは、エドワード・ギボンが『ローマ帝国の滅亡と崩壊』を著わしたホテルだった。午前中はこのオールド・ホテルの庭で仕事をして、午後はオットーラインと過ごし、詩を読んだり、散歩をした。6月16日はオットーラインの誕生日。ジュネーヴで過ごした後、ヴォルテールで有名なフェルネーに行った。[フェルネーば現在、フェルネー・ヴォルテールと称される。ヴォルテールの名前があるのは、この啓蒙主義の哲学者がこの地に移り住み、経済的な基盤を当時、作ったことから。1759~1578年の約20年を過ごした。ヴォルテールは元々、スイスのジュネーヴに住んでいたが、厳格なカルヴィン主義のために自分の劇をジュネーヴでは演じることが出来なかった。そこで、ジュネーヴに隣接するフランスのフェルネーに移り住み、劇場を建てただけでなく、焼き物工場や時計工房を設立し、産業も興し、住人を増やした。ヴォルテールの生存中1000人ほど人口が増加。こうして、ジュネーヴのお金持ちを観劇させ、興した産業でフェルネーを豊かにした。]ラッセルはフェルネーにオットーラインと到着した時を内的にも外的にも穏やかで平安で時間が一瞬停まった時としてずっと後になっても憶えていた。
 以前、オットーラインからインスピレーションを受け、『監獄』を著わしたが、ホワイトヘッド夫人にもオットーラインにも不評だった。結局、『哲学の諸問題』の最後に「哲学の価値」になり、「無限」に収束した。オットーラインの誕生日に、ジュネーヴで青のエナメル時計を買った。その朝、オットーラインへの愛を作品に著わしたいというメッセージを送った。
 或る程度、オットーラインとの共作となったのは、『ジョン・フォースティスの困窮』。この小説の主人公はジョン・フォースティス。ファウストを思わせる名前となっている。フォースティスは研究一途な物理学者だが、世俗的なことにはすれていない子供と同じで無知。大きな仕事が一通り終わったので、一息いれようと園遊会に出かける。そこで、出遭ったのは、帝国建設者、社会主義者、やり手だが退廃的な大投資家たち。夫々がフォースティスに自分の世界観を語る。これらの脇役たちは、ラッセルが人生の初期に捨て去ったものを表わしているとモンクは言う。すなわち、狭量で身勝手な帝国主義者も精神的に貧しく間違った楽観主義に立つ社会主義者は、早々と舞台から消えるのだ。残る大投資家のペシミズムに悩まされる。「人生の全てに価値がないのだろうか」と自問するフォースティス。「物理学の問題を考えるように、これを理性的に捉えなければ」と思うのだった。帰宅したフォースティスが妻に人生の全てが無価値なのか訊ねると、妻は応える。「分かっているの、あなたが私に興味を示したのはこれが初めてなのよ。結婚してずっと永年一緒に暮らしてきたのに、完全に別々なのよ。あなたは研究と計算にばかり没頭していて、私の言うことなんか聞いてくれなかったのよ。」
 いわば、アリスをイヴィリーン・ホワイトヘッドにした格好のフォースティス夫人は、ここで夫に1年もの間、秘密にしていたことを打ち明ける。不治の癌におかされていて、余命いくばくもないというのだ。イーヴリン・ホワイトヘッドが胸の痛みに苦しんでいるのを見たラッセルが、打ちのめされ回心したように、フォースティスも他の人たちへの思いと感情が堰を切ったかのように流れ出すのだった。妻が死ぬと、以前のように抽象的なことに集中することは出来ず、職場から暇をもらうと、生きるということの価値とは何かという困窮を解くため、世界を旅するのだった。帰途、フローレンスでAmanti del Pensiero「思想愛好家たち」と呼ばれるインテリの一団の会議に参加する。次々と生きることの価値についてインテリたちが話す。が、意見の対立ではなく、一つの意見が弁証法的に展開しているだけ。要するに、ラッセルの知的発展が次々と語られているのだ。
 最初に話すのはフォラーノForano(フレーゲFregeとペアノPeanoの鞄語)。
生きているとひどく嫌悪感を催させることが多いが、数学は悦びを沢山、与えてくれる、とフォラーノは言う。次は、ナシスポNasispo(スピノザSpinozaの綴りをほぼ換えたもの)。ありきたりの希望や恐怖を超えた静観により人生は最善のものとなる、と言う。ナシスポの次に話すのは、詩人のパルディクレティPardicreti(ルくレティアス[古代コーマ時代の原子論者]とローザンヌでオットーラインと読んだ詩人のレオパルディLeopardiを合わせたもの)。最後を飾るのは、シェンコフ。1912年、ドーセットでオットーラインの愛を失ったと思い、ロシアの作家ドストエフスキーに苦悩していたラッセルが抱いたイメージが基になっている。シェンコフは、芸術家と狂人、そして創造者は、一瞬にして天国を見た者たちで、天国を地上でも見ようとしてさまようのだ、と言う。人間が生きるということは常に苦闘し、情熱的であるので、ラッセルがドーセットのポートランド・ビルでそうだったように、「感情が人間を目的から逸脱させ、虚弱にさせ、チャンとさせずん、馬鹿にされるようにしてしまう。だから、感情を持たなければ強くなれるので」、「最も苦闘せずに済む、最も非情熱的なものを藁をも掴む気持ちで探し、救いを求め、感じなくなるような力を求めるのだ」というのがシェンコフの考えだった。
 シェンコフはこうした全て感情的なことを超越したいと願うものの、苦痛という恐怖から逃れようと、エネルギーを費やし、理想を掲げ、取り乱したり、狂気に陥ったり、世界の邪悪なものに手を染めたり、泥酔したり、残虐や快楽に走ったり、空虚さを埋めようと忙しく活動するという人生の究極的な真理から眼を逸らせることは出来なかった。そこで、ウィトゲンシュタインが苦悩に耐えることをラッセルに話していたのをラッセルが思い出したのか、苦痛と真に渡り合うのは苦痛から逃げずに直面し、苦痛を魂に受けとめ、苦痛に何度も刺されながらも耐えることなのだ、とシェンコフは理解するのだった。人生は情熱抜きには有り得ないのだから、情熱を超えることによって人生で大切にするに足るものを得ることは出来ないこと、自らの魂を無限な苦痛を受けとめられるよう想像し難い苦悩によって鍛えることしかないのだ、とシェンコフは理解するのだった。
 ラッセルは後年、詩人のスピーチが一番自慢できると言ったのだが、明らかに偽りのない、最も生き生きと書かれているロシア作家のものが一番ラッセルの心境を物語っていたのだ。一番つまらないのは、作家の後で話す普通の人のスピーチで、哲学者は教養のあるエリートに語ると考えるオットーラインの不安と危惧を表わしているものだ。普通の人を代表するのは、ジョゼッペ・アレグノー。「普通の人間には数学も哲学も分からないし、詩はおもしろいとも思わないし、音楽はといえば踊れるものなら嬉しい。…あなたの教えを貧しい人や貧困に喘いでいる人に、キリスト教がそうだったように、身近なものにしてくれるか、教えに従う人間に特別な力を求めない教えにしてくれるかしてください」と普通の人であるアレグノーは言う。
 このアレグノーの要求に叶うのは、マザー・キャサリン(ラッセルの母親の名前になっているのは偶然でないのは確かだ)。オットーラインに教えてもらったマザー・ジュリアンがモデルないし下敷きになっている。マザー・ジュリアンの出し方にラッセルのオットーアインに対する愛が記されるよう意図されている。ラッセルはフォースティスに手紙と日記を読ませ、叔父のトリスとラム・フォースティス(ロロ叔父さんがモデル)がかつてキャサリーンとかりそめの恋をしたことを発見させるようにしているのだ。
 叔父の最後の頼みで、フォースティスはキャサリーンに会いに行く。「誰にも無限で崇高なものが人間の精神にはある」という「監獄」の教えをキャサリーンはフォースティスに説く。この教えこそ、オットーラインがラッセルに伝えたものだった。
 ラッセルは『フォースティス』を7月2日にローザンヌで書き上げた。この小説の一番良いところはオットーラインの言葉が散りばめられている個所だとラッセルは思っていた。
トリストラムは甥にキャサリーンを最後まで愛していたことを告白する。永らく狂気だったキャサリーンの夫が亡くなったら、二人は結婚しているはずだった。しかし、キャサリーンの繊細な子供が死んでしまい、痛恨の念に襲われ、トリストラムとのかりそめの恋を責め、修道院に入ってしまったというのだ。「避けられない別れほど酷いものはなく、怒りに駆られて運命とキャサリーンに対して反抗したが、それも無益であり、…、徐々に愛情を他のことに向け、もっと広い範囲に広げ、共感と智慧とを保つようにしたのだった。」叔父はもうキャサリーンを理解できるようになったこと、もう恨みを抱いていないことを伝えて欲しいと言うのだった。
 ラッセルは手紙でオットーラインと別れるなどと考えるのは狂っていると書いたが、『フォースティス』で叔父のトリストラムがキャサリーンという個人から人類一般に愛を移していったように、この小説でラッセルはオットーラインに別れを告げているのだった
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by ars_maki | 2007-09-09 09:46 | 読書