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by ars_maki
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「新潟日赤センター爆破未遂事件」

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韓国大統領が企てた、日本大虐殺未遂事件】

「新潟日赤センター爆破未遂事件」

この日本への破壊活動を行った韓国大統領指揮のテロリスト達は英雄として、韓国国立ソウル顕忠院に祀られています。

新潟日赤センター爆破未遂事件とは、中国地方各地における韓国工作員による密出入国と1959年12月4日に企てられた新潟県での暗殺・爆破テロ未遂事件です。

※参考動画
何故か報道は可愛そうな韓国人として報道がされていますのでご留意下さい。http://youtu.be/VRCet0AMRyI

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(テロ計画内容)
・在日朝鮮人帰国事業担当の日本側要員の暗殺。
・日本赤十字社の破壊。
・新潟港に通じる鉄道線路を破壊。
・韓国民団にKCIAの工作員を偽装入会させ、日本側の警戒を受けずに政財界へ浸透する。

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朝鮮戦争が膠着状態となり、1951年7月から休戦会談が開始されると、韓国大統領・李承晩は1952年1月18日に李承晩ラインを宣言しました。

竹島を占拠するとともに対馬は韓国領であるとして日本に「返還」を要求するとともに日本の漁民数千人を抑留し、第一大邦丸事件のような日本人殺害事件も引き起こした。

この事件当時も日本人は韓国に抑留されている状態であった。韓国では休戦後も国土が荒廃したままで、経済活動は衰退し、世界最貧国となっていた。また、韓国政府は朝鮮戦争中には共産主義者との関係を疑われた韓国民を裁判なしで数十万人虐殺していた(保導連盟事件、居昌事件など)。

1945年9月2日 - 1952年4月28日
連合国最高司令官の指令により多くの密入国者や犯罪者の在日朝鮮人が韓国に強制送還される(大村収容所だけでも3633人)。自ら帰還を希望した在日朝鮮人140万人は日本政府の手配で帰還する。

1952年4月28日
サンフランシスコ講和条約発効のより日本国主権回復。以後、韓国政府は日韓政府協定が結ばれていないとして在日朝鮮人の引き取りを拒否。

1956年
北朝鮮の金日成国家主席は朝鮮労働党第三次大会で在日朝鮮人学生を衣食住・学費の全てを無償で北朝鮮へ受け入れると発表し、在日朝鮮人の帰国を呼びかけた。声明を受けて、日本国内では朝鮮総連は帰国促進運動を繰り広げた。

1959年2月13日
石橋内閣は「在日朝鮮人の北朝鮮帰還問題は基本的人権に基づく居住地選択の自由という国際通念に基づいて処理する」とした閣議了解を行った。

1959年8月
韓国の李承晩大統領は「日本は人道主義の名の下に北朝鮮傀儡政権の共産主義建設を助けようとしている」と非難し、予定されていた日韓会談の中止を指示した。

1959年8月
カルカッタで日朝赤十字社間で帰還協定が締結。在日本大韓民国居留民団は韓国政府の意向で北送反対闘争委員会を結成。

1959年8月25日
在日本大韓民国居留民団員たちが日本赤十字本社に乱入。

1959年12月14日
北朝鮮への帰国船の第一陣が出発する。北朝鮮へ帰国した朝鮮人には、韓国政府による済州島4・3事件や麗水・順天事件などの虐殺を逃れて日本に密入国した韓国人などがいた。

「韓国大統領による日本の北韓送還阻止工作員の結成」

危機感を募らせた韓国政府は日本に大量の工作員を送り込むことを決定した。

1959年9月
韓国政府は日本に戻ることなく韓国に帰還したままであった在日義勇兵(在日朝鮮人の韓国軍への志願者)たちに、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業を阻止するために日本に潜入して妨害工作活動を行う工作員となるよう要請した。

韓国政府は在日義勇兵41人・韓国軍予備役将校・韓国警察試験合格者24名からなる北韓送還阻止工作員を結成した。また、韓国政府が日本国内で組織した工作員も妨害活動を行うことになる。

1959年9月末
ソウル江北区牛耳洞の訓練所で「破壊班」「説得班」「要人拉致班」に分かれて訓練が行われた。

1959年12月初旬
潜入アジトを設けるために先発隊が慶尚北道慶州市甘浦港から船員に偽装して貿易船に乗り込み、ボートに乗り換えて小倉と関東で活動する部隊ごとに海岸から上陸した。工作事件の舞台となる新潟県に隣接する富山県にはテロ部隊の本部がおかれた。

「新潟日赤センター爆破計画の発覚]

1959年12月4日
警視庁外事課は新潟県新発田市内のバーで密談を行っていた工作員2名に任意同行を求め、新発田警察署で取り調べを行った。工作員の鞄の中からは雷管を装てんした4本組のダイナマイト3束の計12本が発見され、爆発物取締罰則現行犯で逮捕された。

さらに、新潟駅では工作員が駅に預けたガソリン1ℓ缶4本を隠したウィスキー箱が発見され、工作員たちは新潟日赤センターを爆破しようとしていたことが判明した。

また、この工作事件は韓国代表部(領事館)の金永煥三等書記官と来日中の韓国特務機関の幹部が指揮をとっていたことも明らかにされた。

この時逮捕された工作員は、日本国籍を取得した在日韓国人と在日義勇兵として朝鮮戦争に参加した韓国治安局所属の在日朝鮮人である。

日本国籍を取得している在日韓国人は事件前には、新聞記者と称して日本赤十字社本部の周辺に入り浸っており、日本赤十字社からは出入り禁止とされていた。

事件発覚後、警察は次々と韓国の工作員を摘発した。この爆破未遂事件は日本社会に衝撃を与え、韓国政府や在日大韓民国居留民団に対しての日本世論が硬化した。

1959年12月7日
釜山港から神戸港に上陸しようとしていた工作員を載せた大栄号が関門海峡で海上保安官に臨検されて強制停泊させられた後に、韓国に引き返している。

1959年12月12日
巨済島を出発した韓国工作員を載せた明星号が下関近海で暴風に遭い沈没し12名が死亡。

1959年12月13日、12月12日
明星号と同じく巨済島を出航した工作船が広島県呉港から工作員を潜入させる。

1959年12月下旬
在日義勇兵として朝鮮戦争に参加した後、再び日本に渡航して大阪府に住んでいた男性のもとに、韓国に帰還したままであった在日義勇兵の友人が8人の男を引き連れて現れると、そのまま居候するようになり、夜にはラジオで韓国から送られてくる暗号を受信するなどして工作活動を開始した。追って、工作資金2000ドルも送付されてきた。

1960年4月19日
四月革命が起こり、李承晩大統領が失脚すると工作活動は下火となった。

1960年5月3日
山口県下関彦島江ノ浦桟橋から鮮魚運搬船で韓国に密出国しようとしていた韓国工作員24名が逮捕された。工作員たちは先に神戸、長崎、下関付近から密入国していた。

1960年5月10日
警視庁外事課が韓国工作員を出入国管理法違反で逮捕。工作員は李承晩大統領直属の景武台機関出身で在日同胞の北朝鮮帰国阻止決死隊の隊員だった。工作員は日赤センターや船や列車を破壊する任務を与えられていた。

「この日本大虐殺未遂事件を知っていた社会党」

事件後、衆議院法務委員会

1959年12月8日
衆議院法務委員会にて「社会党の猪俣浩三代議士」は自身が事件発覚前に新潟日赤センター爆破計画と事件実行犯である工作員が新潟に入るとの情報を帰還促進団体からすでに受けていたことを明らかにした。

また、「社会党の猪俣浩三代議士」は安斗熙、張斗権、韓九、柳日熙、李周浩ら韓国軍の特務機関員が日本に潜入しており、韓国代表部(領事館)の金永煥が用意した韓国銀行あての小切手800万円が韓国人を介して12月4日午後二時半、韓国料理店で安斗熙らに渡されたとの情報を明らかにした。

その際、金九(元大韓民国臨時政府主席)暗殺実行犯の安斗熙が姜斗熙という偽名でアメリカ空軍立川基地を経由して潜入したとしている。

また、韓国の工作活動は三つに分かれており、第一は、新潟日赤センター爆破計画、第二は、輸送の列車爆破、第三は、すべてが失敗に終わった時に朝鮮総連幹部と北朝鮮側の帰還責任者に対してテロを行なうというものであった。

そして「何がゆえに一体、北鮮に帰りたいという朝鮮人をせっかく日本政府が北鮮に帰すというのに対して、彼らが反対するのであろうか」とたずねた。

2011年4月30日
朝鮮日報の報道で「社会党の猪俣浩三代議士」が国会で証言した韓国のテロ計画が事実だったことが明らかにされる。

「その後の韓国政府がテロリストに行った事」

2011年4月29日
韓国国会はテロ工作員と子孫たちに104億ウォンの慰労金を給付することを可決。

1959年12月8日
駐日代表部の柳泰夏大使が新亜通信のインタビューにおいて事件との関係を否定したことが報じられる。

2009年5月19日
テロ活動中に死亡したテロリストは「在日同胞北送國家任務随行殉職者」として戦没者を祭る韓国の国立墓地で顕彰される。

2011年4月29日
韓国国会本会議で在日朝鮮人の北送を阻止する警察特殊任務遂行者の補償に関する法律案が承認される。テロリストとその子孫たちに慰労金など104億ウォンを給付されることとなった。

「メディアによる報道」

2002年
韓国SBS放送で「ニュース追跡-忘れられた秘密工作員-在日同胞北送阻止隊71名」というインタビュー番組が報道されている。

2009年9月26日
日本のTBSで「闇の部隊「北送阻止隊」」という工作員のインタビュー番組が報道されている。

2011年4月30日
元テロ工作員のキム・ホンユン、チョ・スンベが朝鮮日報に実名を公表してテロ作戦の証言を行った
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by ars_maki | 2013-11-22 21:24