日々の読書、愛犬たち、翻訳、手芸など


by ars_maki
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Liang Qichao 梁 啓超(りょう けいちょう)

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中国では伝統的に、民衆とは、戦乱で虫けらのように殺される存在であり、
少なくとも権力者から愛護を受ける対象とはなっていませんでした。
梁啓超は、中国の民衆を「戮民」(りくみん 殺戮される民)と呼んでいます。

Chinese populace have been treated badly in battles and
no rulers have ever tried to care for them and protect their life.
Liang Qichao calls pulace in China "people to be slaughtered.

1898年9月21日に戊戌の変法が起き、梁啓超は日本大使館に救いを求め、
日本政府は梁の亡命を認め、10月3日に軍艦大島丸にのせた。
10月20日に広島を経て東京に到着してからは志賀重昂や犬養毅、
柏原文太郎、高田早苗らと交流した。その後、横浜に居住。

梁は当時の日本の印象を次のように語っている。


「日本に亡命した時、上昇している新しい国を実際に見て、まるで明け方の風を
呼吸するようで、頭も体もすっきりして気持がよかった。ここの役人から職人まで、
希望を持って活躍し、勤勉進取の気風に満ちた全てが、昔から無名の小国を
新世紀の文明の舞台に立ち上がらせた。腐敗している清政府を振り返ってみると、
活力がなく積極性に欠けている。両国を比較し、日本人を愛すべき、慕うべきだと
つくづく感じた。」
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by ars_maki | 2013-08-05 21:51